神道の瞑想は、体験しなければわからないことがたくさんあります。
全国から参加した方々の体験談を紹介します。
瀬田喜代子さん(仮名)
東京・39歳(参加当時)
大地の一部に
「瞑想」では今までにない奥深い体験をしました。身体そのものが大地の一部になって、大地にのめり込んでしまいそうな感じでした。
お腹の底から「みそぎはらい」の声を出していくうちに、自分が今までとは何か違って感じられるようになりました。自分自身に正面から向かい合うなにか心の準備ができたように思いました。
この瞑想の門に入ることができたこと、導いてくださった方々とのご縁に心の底からお礼が言いたいです。
佐原はるかさん(仮名)
神奈川・29歳(参加当時)
これでもかと光を入れる
すごい体験。身体の浄化が始まる。身体のチャクラのところに光を入れ始めているのが判る。身体が熱くなる。だんだんに自分の体、自分の「みたま」に申し訳ないという気持ちになってくる。こんなに汚れて申し訳ないという気持ち。
最初はただおかしかった。「すごいぞ。すごいぞ」と心の中で思っていた。これでもか、これでもか、という位、光を入れても未だ足りない。
だんだん悲しくなってきて、突然、声をあげて泣き出してしまう。悲しかった。そしてまた光を入れ始める。・・・神が、身体が、心が、すべてのものが私の浄化を応援してくれる。
-- 私は、私の浄化を手伝ってくれているすべてのもの、人に対しての感謝を、これから先、絶対にわすれてはいけないと思う。
清原朋美さん(仮名)
東京・35歳(参加当時)
感謝の心で自分を満たす場所
瞑想行を続ける内に、神社の拝殿のエネルギーがとても身近な親しみのあるもののような感じになっていきました。私にとって、ここは、〈すがる場所〉ではなく、〈感謝の心で自分を満たす場所〉なのだと感じるようになりました。いつもは、自分が守られている幸せにゆっくり浸る時間などない、忙しい都会っ子です。
ただ感謝の心で自分を満たすためだけの時間が取れるなんて、神様からのプレゼントじゃないかしら? と、心からありがたい気持ちがします。
素晴らしい友人もできました。この心をずっとわすれないでいたいと祈っています。
田中憲史さん(仮名)
新潟・44歳(参加当時)
精神的に行き詰まった時に救われた
自分ひとりでは耐えがたい人生でのできごとを経験し、どうしても精神的に行き詰まった時に、友人に紹介してもらって行道会に参加しました。
精神的にボロボロという状態の時に、這うようにして瑞穂神社にたどり着きました。
3カ月かかって、14座までやり遂げましたが、ようやく自分が出発点に立てたような気がして、感謝の涙で胸がいっぱいになりました。
百座目の行道で、自分の中に真っすぐなものが一本あるのを感じました。太さはさほど太くはなく、ただ真っすぐ立っているものでした。
その時に、「いつか」なんて決してこない、「どこか」なんてどこにもないという言葉が自分の心に浮かんできました。あるのは「今」だけなのだ! ということでした。